*このメールマガジンは、私・神田と直接名刺交換させて頂いた方々に送信させて頂いております。(今後、送信不要の方につきましては、最後にある送信停止の手続きを行って頂くよう、宜しくお願いいたします。)
「やってみなはれの極意【その⑧】」~「失敗を許し、失敗からから学ぶことの大切さ」~
みなさん、こんにちは。(株)チームフォース代表の神田和明です。
GWもあっという間に過ぎ去り、いよいよ本格的な夏の訪れが待ち遠しい季節となりました。皆さんはどんなGWを過ごされましたか?私のGWは自宅のある札幌で久々に知人とゴルフプレーを楽しんだり、勉強仲間とお気に入りの飲食店へ行ったり、昔付き合いのあった友人と実家のある小樽で寿司やソフトクリームを食べたりと、ここ最近にしては久々に存分に遊びを楽しんだ時間となりました。
今回の【その⑧】では、「失敗から学ぶ」をテーマに、恥ずかしながら私のいくつかの失敗から学んだ経験をお話しすることで、失敗から学ぶことの大切さを、あらためて皆さんにお伝えすることができればと考えています。「皆さんはかつて、大きな失敗したという経験をお持ちでしょうか?」このように尋ねると、「あるある。たくさんある!」という声がすぐ帰って来そうな気がします。そうです。失敗しない人はいないし、人は失敗によって学び、失敗によって成長していくものだと思います。
しかしながらもし、同じ失敗を何度も繰り返すようであれば、それは単なる注意力散漫か怠慢の極みといえ、それは何の意味も持たない無価値なものとなります。失敗にも色々あって、単なる小さなミスから、人の生命の危機につながる重大な過ちまで、その程度は様々だと思いますが、失敗の程度が大きければ大きいほど、それを犯してしまった本人へのダメージは相当大きいものになると思います。
かくいう私も、仕事においては数々の失敗の連続でした。その中でも一番記憶に残っている失敗談と、そこから学んだ経験の内容についてまずはお話させて頂きたいと考えています。これは今からよくよく考えると、失敗というよりもむしろ大失態と言った方が適切な表現になるのではないかと考えています。その内容について、屈著「リーダーが壁にぶちあたったら読む本(あさ出版)」の中から、ドキュメンタリータッチの文章そのままに、以下でお伝えさせて頂きます。
私は当時の上司である支店長に絶望とあきらめの気持ちでこう伝えた。「実は本日、我々の予約が入っておらず、プレーできない状態になっています。すみません、完全に私の確認不足です」。確か、私が27、28歳の時だったろうか、当時新宿支店で業務用の営業をしていた時のことだ。サントリービールをたくさんお取り扱い頂いていた新宿歌舞伎町の大型チェーン居酒屋の社長をゴルフ接待することになり、ある日曜日に、当時の直属の上司であった支店長と私と3人で、その社長がお気に入りの千葉の著名なゴルフ場でプレーすることになっていた。
私はその日の2ヶ月ほど前から、私の知人を介してその千葉のゴルフ場を予約してもらっていた。ところがその当日の朝、私か3人の名前を記入したメンバー用紙をゴルフ場のフロントに持っていったところ、その受付係の人から「その名前では予約が入っていません」とはっきり告げられたのだ。私はすぐさま「そんなはずないです、私はKさんの紹介でこのゴルフ場を確かに予約してもらっています」と話すと、ゴルフ場の受付係が、「Kさんという方は確かに当ゴルフ場のメンバーですが、Kさんから本日のプレーの予約はされていません」。その言葉を聞いた私は一瞬、血の気が引いた。Kさんにすぐさま連絡を取ったが全く通じず、その後数回にわたって連絡をしてみたものの、結局Kさんとは連絡が取れずじまいだった。
私は完全に追い詰められていた。どのような理由があるにせよ、結果としてその日に得意先とプレーができない事態となったことは、予約した私に責任があるのは明らかだった。そんなあせる私の心中とはお構いなしに、外のグリーン練習場では、自分の上司である支店長とその居酒屋チェーンの社長とが、パット練習をしながら、楽しそうにスタートを今か今かと心待ちに歓談している光景が私の目に映っていた。覚悟を決めた私は、ゴルフ場の支配人のところに行って、その事情を何度も何度も説明し、プレーをさせてもらえないかとお願いし続けた。その支配人は、「事情は十分に理解しますが、いま入れてしまうと最後のお客さんが日没にかかってしまう可能性があるので、やはり入れるのは勘弁してもらいたい」という内容の返答を淡々と繰り返すだけだった。
「なんとしてでも、プレーさせてもらわなければ大変なことになる」と完全に追い詰められた私は、無意識のうちに、何度話しても聞き入れてくれなかった支配人の前で泣きながら土下座をし何度も何度も頭を床にこすりつけ、「お願いですから、なんとかプレーをさせて下さい」となりふり構わず懸命に嘆願し続けていた。しばらくすると、ここまでする私を見るに見かねたのか、困り果てた支配人が私に諭すようにこう語れかけた。「わかりました。あなたの置かれた立場がよく分かりましたので、何とかプレーできるようにしましょう。ただし、当ゴルフ場としても、他のお客さまには絶対に迷惑はかけられいので、最終組に入れさせてもらいます。最後の方は日没にかかって、最後までプレーできなくなるのは確実ですが、それでも良ければプレーしてください」
そのようにして、何とか最終組でプレーすることを許された我々の組は、予想に違わずラスト3ホールを残した時点で日没にかかってしまった。それでも見にくいポールを3人で助け合いながら探しつつも、和気あいあいとなんとか18ホールを全てプレーすることができたのである。ホールアウト後、ゆっくりビールを飲みながら会食した際に、ほろ酔いになったその社長がポツリとこうつぶやいた。「実は私はプレー前の神田さんの行動を遠くからじっと見ていました。おそらく今日、我々のプレーの予約が入っていなかったのではないですか?」そしてこう続けた。
「それはさておいて、そこからの神田さんの支配人に対するアプローチは素晴らしかった。あのように懸命にお願いする神田さんの姿には、正直言って頭が下がりました。その光景を見て私はおそらく今日、このゴルフ場ではプレーができないものと覚悟していました。このゴルフ場は歴史が長く、会員の紹介がなくてはプレーできないし、まして当日に予約が入っていない者をプレーさせることなど絶対にできない規則になっているんです」とやや眉をしかめて話してくれた。そしてその社長は続けて、「私は今日の神田さんの熱意あふれる言動を見てほんとうに感激しました。私は以前から神田さんはガッツのある優秀なセールスマンだと思っていましたが、あの粘りのある交渉力は半端ではないです。うちの会社でも神田さんのような強い熱意を持った社員がいれば、お店がもっと繁盛してもっとサントリーのビールをたくさん売ってあげられるのに・・・」と最後は明るく冗談で話を締めくくってくれた。
一方、支店長からすれば、このような重大なミスをした私に怒りを覚えつつも、私には一言も怒りの言葉をぶつけることはなかった。おそらく支店長は、私が自分の犯したミスによって、どれだけ辛い思いをしたのかが痛いほどわかっていたからだと思っています。この経験はまずは私に仕事においての「念入りに事前準備と確認することの大切さ」を教えてくれた。単なるミスで笑って済まされる場合は良いが、このような重大な得意先との仕事上の段取りについては、念には念を押しながら事前準備や確認をすることが不可欠になる。もし、あの日にその得意先の社長とプレーすることができずに終わっていたら、その得意先の社長との信頼関係も大きく失われ、以降の商売に大きな支障を来たしていたに違いない。
そして失敗した時は、ともすればその失敗で自分自身をとがめたり、言い訳を考えがちになるが、「どうやったらその失敗を最小限にすべく、リカバリーできるのか」ということへ頭を素早く切り替えることが重要になる。今回のケースでは、「どうしたら得意先の社長の怒りや憤慨を最小限に抑えることができのか」ということにフォーカスし、素早いアクションをとれるかどうかが鍵になる。今回の私の場合はたとえどんな形であろうが、「3人でプレースする」ということが最低限の獲得目標だと信じて、なりふり構わずできる限りのことをしようと心に誓っていた。
そして深く印象に残っているのは、その時の私に対する支店長の対応だった。ゴルフ場で得意先の社長を見送りしたのち、支店長から今回の私のミスの件でこっぴどく叱られるのを覚悟していたのだが、「神田、今日は色々とあったけどお疲れ様」と一言だけ行って、お互いにゴルフ場を去ったのだった。「何のおとがめもないとはどうしてなんだろう」帰りの電車の中で、私の頭は混乱していました。私が考えるに、今回の件は私の言動から見て、おそらく本人(私)が失敗したことを大いに反省しており、その反省の下で、出来るだけの働きかけを見せたことで、「ああ、こいつは今回の失態に相当反省をしている」と私の態度から充分にその意図を感じ取っていたのではないかと考えています。
サントリーではこのように多少の失敗には目をつぶり、その人が失敗をしたときに、失敗してしまったことをいちいちとがめることをしない「失敗を許容する文化」があります。そしてその失敗をバネにして、どのようにリカバリーしていくかというプロセスを重要視してるのです。もしこの件で、こっぴどく怒られるケースがあるとすれば、「失敗してしまったと本人が気づいたにもかかわらず、その失敗を全力でカバーしようとしない無責任な態度」の場合だ。まさに、「やってみなはれ、そしてだめだったときも、しっかりとリカバリーをやってみなはれ」なのである。そこには失敗を恐れない「許す文化」が根を下ろしているため、サントリーの社員は、多少の失敗にひるむことなく常に果敢にチャレンジできるのだ。
失敗から学ぶとは、失敗をポジテイブに捉えることで、成功へのヒントを見つけたり、失敗に隠された価値を見つけ出し、自分のその後の成長に役立てることを意味している。失敗から学ぶことのメリットは、おおよそ以下の3つです。
1.失敗の原因を特定することで、今後の失敗を防ぐ方法をスムーズかつ的確に策定できる。
2.失敗を成功へのプロセスと考え、次のチャレンジに向けて前進する。
3.失敗は、私たちに貴重な教訓をもたらすものであり、成功へのプロセスの一環として受け入れる。
もう一つ、私には「許す文化」に救われた、私のミスから来る失敗談があります。それは「社内プロジェクトにおける、トップへのプレゼンテーション時の大失敗」です。あれは私がすすきのでの飲食店の営業課長となって数年経ったの後のことでした。私は会社から「営業革新プロジェクト」のメンバーに選出されました。このプロジェクトのミッションは、サントリーの営業の非効率な活動を見直し、ムリ・ムダ・ムラを徹底排除することで、効率的でかつ効果的な営業活動の仕方をゼロベースで一から見直すという、会社のトップから強く要請のあった一大プロジェクトでした。当時私は、比較的好成績が続いていたこともあり、そのプロジェクトの業務用のサブ・リーダー(発表者)に選ばれていました。
そのプロジェクト内の構成は、国内でサントリーの酒類の製品を販売する家庭用(小売店)営業チームと業務用(飲食店)の2つチームに分けられていて、その各チームメンバーが毎週毎週、プロジェクト本部のある赤坂見附のサントリーの会議室でミーティングを重ねていました。私は約3か月間毎週、札幌から宿泊出張し、十数人の業務用(飲食店)営業チームメンバーと毎回夜通しで議論を重ねたり、業務用の営業マンや業務用卸・酒店のキーマンにヒアリングする日々が続きました。その中で喧々諤々の議論を積み重ね、ようやく最終答申案が出来上がりました。そしていよいよ、社長へのプレゼンの当日がやって来ました。当日のプレゼンの全体のスケジュール(アジェンダ)は以下の通りでした。
①プロジェクト最終答申の全体概要(プロジェクトリーダー)
②家庭用(小売店)営業の革新に向けて(サブリーダーA氏)
(休憩・昼食)
③業務用(飲食店)営業革新に向けて(サブリーダー神田)
➃質疑応答、ディスカッション
当日の私の発表は午前中の部が終わった後の昼食後の午後からの予定でした。私は自分の出番に備えて、そのミーテングの冒頭からに参加しつつも、私の発表に備えて当日の発表用の資料を念入りに精査し、そのカンニングペーパとして用意していた資料に自分が話すべき内容を詳細に書き込みながら、なんとかうまくプレゼンを通すてことに躍起になっいました。悲劇は①のプロジェクトリーダーの全体概要の話のあとに起こりました。なんと、次に家庭用営業(小売店)営業革新に関するプレゼン予定だったサブリーダーAさんが、得意先とのトラブルに見舞われ、プレゼンすることができなくなったのです。それに伴い急遽、Aさんと私のプレゼンの順番と入れ替えとなり、私がその場でいきなりプレゼンをすることになってしまったのです。私にしてみれば、いきなりプレゼンをすると言われても、まっさらな発表用の正式な資料は麹町の別の事務所(赤坂から15分程度の場所)に置いてあり、それがなければきちっとした発表は困難だと思っていました。昼休みにそこの事務所に戻ってその資料をこの持参し、それを使って万全の体制でプレゼンに臨むスケジュールを組んでいたのです。
私はとっさに、「すいません正式な発表用の資料は手元にありません。なので今すぐに発表することは難しいです」とはっきりと進行役に答えました。すると社長の横にいた専務が怪訝そうに、「何言っているんだ、時間がもったいない、さっさと早くプレゼンに取り掛かれ」と私に有無を言わさない口調で畳みかけるように言ってきました。「とは言っても、正式な発表用の資料は今、ここにはありませんので勘弁してください」と私は半ば困った様子でそう答えました。じゃあどんな資料があるというのだ、君の手元に資料があるのなら、それを使っていますぐプレゼンやってくれ」と主張を変えようとはしません。私は「この資料は、私が発表する際に、発表用の元資料に手書きで色々とごちゃごちゃ書いているので、発表に使うのは都合が悪いと思っています」とさらに抵抗をつづけました。なぜならその資料には、うまくプレゼンができるようにカンニングペーパーとして話すべき内容を、手書きの文字がびっしりと書かれていたのです。
当時は、今のようにパソコンから機材につないで直接スクリーンに投影する形ではなく、印刷した資料を、オーバーヘッド・プロジェクターという機材を使って、紙の資料ををそのままその機材の上に置いて直接スクリーンに投影する形でプレゼンをしていたのです。「いずれにしてもその資料があるのなら、そのままでいいからすぐやってくれ」とまた専務が私に指示してきました。不本意ながらも結局、私は恥をしのんで、その手書きで一杯になった汚い作戦用の資料をそのまま使って、約45分間のプレゼンを余儀なくされたのでした。その資料には、「ここで社長の目を見る」とか「ここでこういう質問が来たらこう答える」、「ここは力強くアピールする」など私のプレゼンにおけるシナリオがこと細かに書かれており、企業のトップに使うプレゼン資料としてはあり得なく、これ以上粗雑なものはないというくらい、お粗末な資料だったのです。
「目から火が出るほど恥ずかしく、気まずいプレゼンになってしまう。最悪の事態だ・・・・」と思いつつも、なんで発表用に使用するの真っ新な資料をいま手元に置いておかなかったんだろうと悔やんでも悔やんでも悔やみきれないほどの後悔の念が私の脳裏をかけめぐりました。そうこう考えているうちに、遂にそのブレゼンが始まり、私の手書きまみれの資料がスクリーンに映し出された瞬間、その汚く雑然とした内容に場が一瞬凍り付き、プレゼン会場全体か気まずい雰囲気に包まれ、「これで私のサラリーマン人生が終わったか・・・」と思ったまさにその時です、「おう神田、落書きの割にはなかなか字が上手だな、おそらく内容もこの綺麗な字体と同じで、きっと素晴らしいものに違いないから、多少のことは気にせずに思い切って発表してみてくれ」と当時社長であった佐治信忠氏の大きく太い声の通る言葉が会場全体に響き渡りました。その発言に、一瞬にしてその場が明るく和やかな雰囲気に変わったのでした。絶体絶命の「まな板の鯉」状態で混乱していた私もその社長の発言でなんとか冷静さを取り戻し、不思議とその手書きだらけの資料を気にすることなく無事にプレゼンを終えることができました。内容に関しても高評価を頂いたことで事なきを得ることができたのです。
私の未熟な事前準備によって、このような失敗をしでかしたにもかかわらず、気を悪くするどころか、優しい言葉をかけ、さらには励ましてくれたあの言葉は一生忘れることはないと思っています。サントリーには社長であっても役員であっても平社員であっても、そんな家族間に見られるような「人を許容する雰囲気」があります。多少のミスや間違いがあっても、大目に見て、たとえ失敗したとしても逆に落ち込んでいる当事者を励まし、次の機会にチャンスを与えるなど、器の大きく心の広いフランクな考え方が重視されています。
この私の2つの失敗例からもわかるように、サントリーグループの社員が「やってみなはれ」の精神を遺憾なく発揮できる背景には「失敗を許す文化」の存在にあります。社員が思い切って新たなことに挑戦した結果、失敗してその責任を取らされたり、しつこく叱責されたのではたまったものではありません。そんな状況下では、みな萎縮してしまって、誰も挑戦する気にはなれない思うのは当然です。このような「失敗を許す組織風土」には、創業以来のサントリーが歩んできた130年の苦難の歴史にあります。
サントリーグループは、過去から多くのブランドや事業を生み出してきましたが、その成功には失敗と試行錯誤が付きものでした。例えば、創業者の鳥井信治郎氏は、本物の国産ウイスキーを作りたいという一念から、1923年に山崎蒸溜所を建て、国産初の本格ウイスキーに挑戦しましたが、当時は最初はまったく売れませんでした。そして2代目の社長であった佐治敬三氏は万難を排して「サントリービール」でビール業界に鳴り物入りで進出したものの、その後30年以上にわたってビール事業は赤字が続いたのは周知の通りです。現在では一部上場を果たしているグループ会社である「サントリー食品インターナショナル」も一時は危機的状況に陥り、その事業の存続が危ぶまれた時期がありました。このような数々の失敗を繰り返しながらも、「失敗を許容する」「リスクをとって挑戦する」「お互いを称えあう」といった価値観を常に大切にし、自己変革できる風土を育み続けたことが現在のサントリーグループの成功につながった要因といえるのではないかと考えています。このように、失敗を受け入れつつ、挑戦し続ける組織文化は、成長とイノベーションを生み出す源泉となり、さらなる飛躍へのステップとなり続けているのです。

コメント
COMMENT