皆さんこんにちは。株式会社チームフォース代表の神田和明です。
ブログの発信は本当に久しぶりとなりますが、今年からまた新たに2回/月にブログを発信することに決めました。色々な方々が色々な内容のブログを発信している中で、「自分はどんな内容のものを発信すれば皆さんに楽しんで読んで貰えるだろうか?」と昨年末から考え続けていましたが、結論としては、「私を育ててくれたサントリーHD(以下サントリー)での経験を通じて思い感じた気づき」をのままに書き綴り、結果として読んで頂いた方々に少しでもお役に立てればということになりました。一貫したタイトルは「やってみなはれの極意」とし、今回は記念すべき第1回目となりますので宜しくお願いいたします。
2024.2.1(木)はサントリーの創立記念日で、私は「入社40年」ということで永年勤続者として表彰されました。なんと1983年にサントリーに入社してからあっという間の40年が過ぎ去っていたのです。1983年という年を振り返ってみると、あの東京ディスニーランドが4月に開園し、NHK連続テレビ小説「おしん」が62.9%という最高視聴率を記録しました。サントリーのトピックスとしては、サントリー生ビールのペンギンキャラクターのCMで松田聖子が歌った「Sweet Memorys」が大ヒットし、アニメ映画「愛情物語」としても映画化されました。このことをご存じの皆さんは懐かしく感じられているのではないかと思っています。
あれから40年か・・・・・と私の脳裏には一瞬、走馬灯のようにサントリーでの数々の出来事がよみがえりました。この40年を一言で表すならば、「感謝」という言葉に尽きるのではないかと考えています。北海道の小樽という田舎からサントリーに入社して、右も左もわからない田舎者の貧坊ちゃまだった私を採用してもらった上、40年の長きにわたり好き勝手・思いつくままの立ち振る舞いをし続けた私を許し認めて頂いた上に、酒類会社の執行役員にまで就かせてもらった会社に対して、本当にありがたく深い感謝しかありません。

前置きが長くなりましたが、記念すべき第1回目はサントリーに入社した経緯についてのお話をしてみたいと思います。私が初めてサントリーの入社面接を受けたのは確か1982年の秋、札幌駅前にあったサントリー札幌支店の会議室だったと思います。当時サントリーは人気企業ランキングで4位(2年後の調査では1位)の超人気の企業でした。サントリーオールドが1,300万ケース(1ケース12本入)売れてウイスキー事業は絶好調、そして発売して20年が経ったサントリービールもようやく勢いがつき、ビール業界3位だったアサヒビールの背中がすぐそこまで見えてきている状況でした。そんなこともあり、当時の就活生にとってサントリーという企業は入社するには「狭き門」といえる企業でした。
札幌支店で行われた第一回の入社面接は、北海道の大学に通っている学生からの応募者約200名の希望者を2日間にわたって10人程度のグループに分け、20回ほどのグループ説明会という形で実施されました。1グループの面接時間としてはおそらく15分程度で、一通り受験者からの自己紹介を終えた後、質問を受けるという形で行われました。15分という短い時間なので、自己紹介だけで終わってしまう学生も多くいるということで、「なんとか存在感を示さなければ・・・」ということで私が思いついたのは、「面接者が答えに戸惑う質問を投げかけることで自分の存在感を示す」という作戦でした。確か当時の面接官は札幌で勤務していた北大卒の社員と、東京の人事部の係長クラスの方が二人が面接を行っていました。
その当時サントリーオールドが世界一NO1のウイスキーとして頂点を極めていた中、いくつかのブラックジャーナリズムが「サントリーのウイスキーは売れすぎて製造が追いついていないため、品質が低下しつつある」と書きなぐっていました(実際にはそんなことはありません)。その記事のコピーをあらかじめ用意していた私はいきなり「この記事の内容は真実でしょうか?」といきなり真顔で詰め寄ったのです。いま考えれば、そのようなネガティブな質問を初対面で悪びれることもなく詰問する私に、二人の面接者は不快感を覚えたに違いありません。

質問を受けた面接者のひとりである北大卒の社員が、驚きを隠せない表情でに、「そんなことはありません。当社は品質第一を理念に、お客様に最高の商品をお届けするために、日々生産工程に万全を期して生産しています」と答えました。それの返答を受けた私はゆっくりとうなづき、すぐさま態度をコロッと変えて、「そうだったんですね。その言葉を聞いて安心しました。自分が命を懸けて仕事をする会社の商品がいいかげんなものを提供するような会社であれば、すべてが嘘となり一生悔いることになります。」そしてこう続けた「宣伝や広告で抜きんででいる御社が、そのように品質においても多大な自信をお持ちになられていることを聞いて、ますますサントリーが好きになりました。いやな質問に率直にお答えいただき、にありがとうございます」と態度を豹変させ、深々と敬意の気持ちを返したのです。
とにかくまずは目立つ、目立っために刺激を与え締めは「芯がしっかりしていて素直な人材である」ということを短い時間の中で演じて見せました。この作戦は見事に功を奏し、私は北海道の学生の200人のうちの3人に選ばれました。北大生が二人と小樽商科大学生である私の3名でした。しかし北海道での選抜として選ばれたものの、次の2次面接は東京の多くの学生に交じっての面接となるので、おそらくその次の3次面接に進むのは難しいだろうとは思いつつも、東京までの往復の交通費と宿泊費が支給されることもあって、憧れの東京への二泊三日の気軽な旅行という気軽な感じでその1週間後、そそくさと東京へと向かいました。
東京・赤坂見附のサントリービルで行われた2次面接はそれはもうかなりの人数でした。面接で知り合った早稲田の学生から聞いた話では、東部(東京以北)での2次面接は主に東大・一橋・早稲田・慶応等の超一流大学の学生がほとんどで、それ以外の学生は少なく、その中にはコネによって2次面接から受けに来ている学生も少なからずいたと記憶しています。人事の方から事前に聞いた話では、1次面接は書類選考を含めて膨大な応募者の中からの選抜を余儀なくされるため、効率上過去の採用実績から指定校を絞らざるを得ないとのことでしたが、2次面接以降は出身大学は関係なく、あくまでも人物本位でなるべく広く全国から人材を採用する方針だと聞きました。「そうか、であるなら自分にも北海道出身者として選ばれる可能性はあるのでは」と、根拠のない自信がわいてくるのを感じていました。東部での採用2次面接では300名から約50人程度に絞られると聞いていましたので、ダメ元と考えてまたイチかバチかの作戦にでようと考えていました。

そして遂に2次面接の時がやってきましたが、考えに考えたあげく2次面接は奇策を考えず出たとこ勝負で臨むことにしました。赤坂見附にあるビルの頂上会にある面接会場に入ると、そこには馬蹄形の横長のテーブルに役員と思しき方々が、7~8名私を取り囲むように見つめていました。まず初めに聞かれた質問は、「君はなぜサントリーに入社したいと考えたのですか?」と正面の人事部長らしき方の一般的な質問で始まりました。ここでもありきたりな答えでは、おそらく次はないと察知した私は、「自分がサントリーを受けたのは日本における一流メーカーで、給料が相当高いと聞いたからです」といきなり堂々と答えました。そしてさらにその理由をこう続けました。「どこの企業であれ、実際に入って働いてみないと自分に合うかどうかはわかりません。どうあろうと著名な企業で給料が高ければどんなことでも耐え抜いてやりがいを失うことなく仕事を進めていくことができると考えています」
その私の話をじっと聞いていた、やや威圧感のある髭の生やした重役とおぼしき人が畳みかけるように、「もし君が今受けている一流企業とやらを全て受かったとしたら、最終的にどこの会社を選ぶつもりなのかね?」と。私はすぐさま「一番先に内定を頂いた企業に入社するつもりです。一番先に内定を頂いた会社に敬意を表してそこに入社するつもりです」と堂々と答えた。「もちろんサントリーが第一志望です」という答えが返ってくれると考えていたその髭の重役は、一瞬顔を曇らせながら納得がいかないという感じで沈黙してしまっていました。こうして私の第二次面接はあっという間に終わりました。そして残念なことに、合格の電話連絡はないままにその日が過ぎました。
その面接のあと、東京の大学に進学した高校の同級生の下宿先に泊まっていた私に小樽の母から電話がかかってきたのは、面接の翌々日の午前中でした。当日美容院を経営していた母から「和明、さきほどサントリー人事部のOさんという方から電話がかかってきて、連絡が欲しい言っていましたよ」と。もしかして受かったのかもしれないと思って、すぐさまOさんに連絡した私は、最終面接である三次面接に来てほしいという話を頂いた。なんとここでも再び奇跡が起こったのだった。
Oさんの話によると、最終面接とは社長(当時は佐治敬三さん)との1対1の面接ということだった。ややこしい質問はないとのことだったが、Oさんからは、「君は成績があまり良くないので、万が一社長から成績の話を聞かれたら正直に答えずに、社会勉強の方を一生懸命したいたとかなんとか言って、正直に自分の成績を答えないように」とだけ言われた。よく意味が分からなかったが、社長との面接は1分もたたないうちにあっという間に終わり、幸運にも成績の話は聞かれることはなかった。そんなラッキーが重なり合って最終面接の合格通知を受け、私は正式にサントリーへの内定が確定したのである。
しかし内定から入社までにはもう一つ大きな壁が存在していました。その壁とは「大学を卒業できるかどうか?」ということです。私は大学1~3年の間、連日のアルバイトとマージャン荘に入り浸る生活の毎日で、学校にはほとんど通っていませんでした。そのツケが全て4年目の時に回ってきていて、なんと卒業には4年生の一年間で48単位を取らなければ卒業単位である128単位には満たない状態でした。48単位といえば、1科目4単位として12科目を履修しなれればならず、実際に私は1週間で履修し得る全てのコマ数を履修していて、それは最大の13科目にわたっていました。

それらの中には、出席だけで単位がもらえる科目も少なからずあったものの、3科目ほどは、教授の査定が厳しく容赦なく単位を与えない冷血な名物教授が私の前に立ちはだかっていたのです。先輩たちの話によると、4年目で48単位以上を残して卒業した者はかつて一人もいないとのことでした。内定をもらったのち、私は全てのアルバイトを辞め麻雀も封印し全ての講義にフル出席し、48単位を取得するために全力を注ぎました。周囲からはおそらく難しいとみられていましたが、「ここで卒業できないということになると一生後悔する」と考え、結果として54単位を取得し、なんとか卒業することができたのです。
話を元に戻しますが、なぜ自分がサントリーから内定をもらったのかはいまだにわかりませんが、ただ確実に言えることは「運」が良かったことと、サントリーとの「縁」があったことだと思います。「運」と「縁」どちらも論理的根拠に欠けてはいますが、田舎の二流国立大学であった私が、日本屈指の酒類メーカーであるサントリーで働けることになったのはそれ以外には考えられませんでした。しかし入社して40年経ったいま、その理由がおぼろげに少しずつだがわかってきたような気がしています。
ここ直近、私が最も敬愛してやまないサントリーのオーナーであり代表取締役会長である佐治信忠氏がしきりに社員に発している言葉が2つあります。ひとつは「やんちゃで、ハチャメチャなおもろい人間であれ」。企業のエネルギーの源は「人」であり、その企業で働く社員が「おとなしく、言われたことしかやらず、平凡な人間」ばかりだったとしたらその企業に未来はない。サントリーはそんな無茶で馬鹿げてはいるが面白いことをやる個性あふれる集団であってほしいし、そういった人間が皆で響き合って、挑戦心にあふれる明るく楽しい会社を作り上げることができると。
もう一つは「あきらめず、へこたれず、しつこく」という言葉です。サントリーの歴史は挑戦の歴史であり、常に現状に甘んずることなく高い目標を掲げて、成長に向けて突き進んできた。当然、目標は高ければ高いほど、そこには難解で困難な課題が待ち受けている。それをもろともせずに、あきらめない、へこたない、しつこい気概を持った人材の集団がサントリーであり、その不屈の精神が、永遠に成長し続ける強い企業体質を作り上げると。

前述したとおり私は北海道小樽の田舎者であり、一流大学卒でもなく、特に日本の中でも飛びぬけた才能があるわけでもない。ただしこの40年を振り返ってみると、あたりまえや平凡なことは嫌いで、人がやらないような新たな課題にチャレンジするのが好きで、やや尖った部分もあり、人に言われたことをそのままやるのが嫌なタイプの人間であると考えています。そのような私のちょっと変わった気質をサントリーが何となく感じてくれていて、少し粗削りだけれど、なにかコイツは面白いことをやってくれそうだと考えて採用してもらったのではないかと考えています。
最後になりますが、私の今後の残された人生においても、サントリーでの40年の歩みに引けを取らないほどに、自らに高い目標を設定し、そのチャレンジを楽しむことによって成長が実感できる、そんなエキサイティングな日々を過ごしていきたいと考えています。これからもこのブログでは、サントリーで学んだこと、経験したこと、感じたことをそのままお話しし、自身の価値観や考え方を皆さんにお伝えしたいと考えていますので、今後とも宜しくお願い致します。



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