「やってみなはれの極意【その⑭】~私が最も憧れる「3人の偉大なるスーパースター」~  

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「やってみなはれの極意【その⑭】~私が最も憧れる「3人の偉大なるスーパースター」~ 

皆さんには、心から尊敬する人や、憧れたり人生の師として仰ぐ方はいますでしょうか?一般的に人は自分自身の「ありたい姿」を考えるにあたって、実際に存在している、または過去に存在していた方々の考えや生き方に重ねる傾向があります。そのような方々のイメージが鮮明で具体的であればあるほど、自身の「ありたい姿」がはっきりと認識できるのではないかと思っています。今回は、私が最も憧れる「3人の偉大なるスーバースター」というテーマについて、私の感ずるままにお話をさせて頂きたいと思っています。ズバリ私が最も憧れる3人とは、幕末維新の英傑・「西郷隆盛」さん、昭和の銀幕の大スター・「石原裕次郎」さん、そしてサントリーHDを3兆円超企業に成長させた名経営者・「佐治信忠」さんになります(以降敬称略)。この3人は私が尊敬する人間&男性像であり、また理想とするリーダー像でもあります。皆さんの中には、この3人のことを良く知らない方もいらっしゃるとは思いますが、今回はこの3人に正面からスポットを当て、私がなぜこの3人に引き付けられるのかをお伝えすることで、これを機会に彼らの魅力を知る機会となってもらえれば嬉しい限りです。

まずはトップバッターの西郷隆盛(以下西郷さん)ですが、私が初めて西郷さんのことを強く意識したのは、サントリー福岡支店長時代に、鹿児島市内にある「維新ふるさと館」という施設に初めて訪れた時です。そこで、西郷さんをはじめとする薩摩出身の志士たちの蝋人形によるパフォーマンスを拝見しました。当時、この様子を目にした私は、彼らの国を心から憂う真剣な意見のやり取りに、今までには感じたことのない相当な衝撃を受けました。直近では「明治維新150年」を迎えた節目の2018年に、NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」として放映され、主役である西郷さん役の鈴木亮平さんが名演技で人気を博しました。

西郷隆盛(さいごうたかもり、1828年 – 1877年)は、幕末から明治初期にかけて活躍した日本の武士・政治家です。薩摩藩(現在の鹿児島県)の出身で、尊皇攘夷運動に積極的に参加し、倒幕運動の中心人物として活躍しました。政敵であった長州藩と薩長同盟を結び、戊辰戦争で討幕軍の総大将として幕府を倒し、明治政府を樹立する大きな原動力となりました。明治新政府では、中心的存在として数々の改革を推進するなど、活躍しましたが、後に政府と対立し1877年に新政府に不満を募らせた旧薩摩軍の武士たちと西南戦争を起こして敗北し、自決し賊軍の将として遇されましたが、その後、西郷さんの人柄を愛した明治天皇の意向や黒田清隆らの努力があって明治22年(1889年)2月11日、大日本帝国憲法の発布に伴う大赦で赦され、正三位を追贈されました。その後、東京・上野公園に西郷隆盛像としてその功績を現在に至るまで称えられています。西郷さんの人間的な魅力は、その誠実さと包容力にあります。仲間や部下から深く信頼され、どんな困難な状況にあっても冷静さを失わず、人々のために尽力しました。また、豪放磊落な性格で、敵対者にも寛大な態度を見せ、赦(ゆる)しを重んじています。西郷さんは常に「敬天愛人」という理念を持ち、自らの利益よりも国家や民衆の幸福を優先するなど、彼の謙虚さと自己犠牲の精神は、多くの人々に感銘を与え、後世にも尊敬されるゆえんとなっています。私が西郷さんに強く惹かれる理由は、その類まれなる優しさと包容力だけではなく、その心中に隠された「武士としての確固たる覚悟と決意」にあります。一旦、やると決めたら、どんなことがあっても必ず成し遂げるという武士としてのブレない覚悟と決意です。

このことを如実に表すエピソードを一つご紹介させて頂きます。1868年に王政復古の大号令を受けて行われた小御所会議での出来事です。この会議は、徳川幕府が倒れ、明治新政府の新たな体制を決める重要な会議でした。会議中、大政奉還を行った徳川慶喜の新政府への参画を巡って討幕派(岩倉具視)と佐幕派(山内容堂)の間で激しい議論が繰り広げられました。西郷隆盛は、討幕派の立場を強く支持しており、慶喜を強く擁護しようとする山内容堂に対して会議が紛糾した際に、困り果てて相談を受けた大久保利通に「短刀一本あれば片づく」と発言したとされています。この言葉は、必要ならば武力を用いてでも問題を解決する覚悟を示したものであり、この会議の結果、慶喜は朝廷に幕府の領地の半分を返還するばかりではなく、さらに慶喜の官位である内大臣の職を辞すことを余儀なくされ、新政府における影響力を完全に奪われてしまいました。

私はこのような西郷さんの優しさとは相反する、意志の強い一面が西郷さんの一番の魅力だと思っています。「刀一本あれば足りる」という言葉には、武士としての誇りと覚悟が宿っています。刀は、武士にとって命そのものであり、誇りや信念を体現する象徴でもあります。この言葉を通じて、西郷さんは「武士としての生き方においては、他の何ものも必要とせず、命をかけて信念を貫く覚悟がある」という決意を示していたのです。西郷さんは、戦場においても日常においても、常に死を覚悟し、自らの信念を曲げることなく行動していました。このような彼の志と言動には私ばかりではなく、数々の西郷さんファンを生み出す大きな要因となっているのだと考えています。

二人目は、昭和が生んだ銀幕(映画界)のスーパースター・石原裕次郎さんです(以下、裕次郎さん)。いまの若い人にはすっかり馴染みのない存在となっていますが、私は彼のクールでダンディ、そして人間的な魅力とリーダーシップ、男としての色気や、少年のような茶目っ気ある無邪気さに強く心が惹かれるのです。裕次郎さんはまだ慶応義塾大学在学中の1956年、彼の実兄である石原慎太郎原作の映画『 太陽の季節』で鮮烈なデビューを果たし、この作品は、裕次郎さんを一躍スターダムに押し上げ、日本映画界に新たな風を吹き込むこととなりました。その後、俳優として数々の著名な作品を編み出したばかりではなく、歌手としても多くのヒット作品を出しその歌声は柔らかで低く、落ち着いたトーンで、多くのファンを魅了しました。

また裕次郎さんは、私のふるさと・北海道の小樽市と非常に深い関わりがあります。小樽は裕次郎さんの第二の故郷とも言われ、彼はこの地をこよなく愛していました。彼の父親が当時、山下汽船・小樽支店長として赴任していたことから、幼少期を小樽で過ごしました。小樽にはかつて、裕次郎さんの功績を称えるための「石原裕次郎記念館」があり、この記念館は裕次郎さんの映画や音楽、プライベートに関する資料が展示されており、彼のファンや映画ファンにとって非常に貴重な場所になっていたのです。しかし、時の流れと共に2017年に閉館されました。裕次郎さんの小樽に対する愛情は、多くの人々に知られており、彼の影響を受けた作品やイベントも、小樽でたびたび開催されてきました。小樽の風景や雰囲気は、彼の作品に多くのインスピレーションを与えたと言えるのではないかと思っています。裕次郎さんはまた、自らの映画製作会社「石原プロモーション」を設立し、プロデューサーとしても活動しました。彼は質の高い映画作品を追求し、加えてテレビドラマでも多くの名作に出演しています。特に1970年代から1980年代にかけて放映された『西部警察』シリーズは、裕次郎さんの代表作として知られています。彼が演じた大門圭介警視は、強さと優しさを兼ね備えたキャラクターで、幅広い層の視聴者に支持されました。裕次郎さんは1980年代に体調を崩し、1987年に52歳で亡くなりました。彼の死は日本中に衝撃を与え、今でも多くの人々に愛されています。裕次郎さんの業績は、映画や音楽、そして文化全般にわたり、日本のエンターテインメント史において燦然と輝く存在です。裕次郎さんはまさしく昭和のスーパースターと言うべき存在であることは誰もが疑い様のない事実だと考えています。

そんな華やかなスター街道を進んできた裕次郎さんですが、一方では周囲のスタッフや共演者に対して常に思いやりを持ち、仲間としての絆を何よりも大切にしていました。前述した「石原プロモーション」では、俳優としての活動だけでなく、後輩たちの育成にも力を入れ、映画・テレビ業界全体に大きく貢献しました。そんな彼の優しさと思いやりとプロフエッショナリズムを感じさせるエピソード、「ロケハン弁当事件」の話があります。ある日、裕次郎さんはそのロケハン(撮影場所の下見)に同行することになりました。このようなロケハンは、一日がかりで行われることが多く、スタッフ全員で現場で食事をとることもよくありました。

この時、スタッフたちに用意された弁当は非常に粗末で簡素なものでしたが、裕次郎さんの弁当だけは豪華な特製弁当だったのです。裕次郎さんはロケハンの責任者に向かって不満そうに「なぜ自分だけがこのような豪華な特製弁当になっているのか?」と問い詰めました。するとその責任者は困った様子で「作品の製作予算の関係で、どうしても全員にこのような特製弁当を配るのは難しくて・・・・」と答えたのです。その答えを受けて裕次郎さんは静かに一言、「わかった。俺が弁当の費用を全部もつから、明日からはスタップ全員、自分と同じものにしてくれ」と語ったということです。この「ロケハン弁当」のエピソードは、当時人気絶頂のスーパースターであったにもかかわらず、スタッフに対する細やかな気配りを忘れることなく、共に作品を作り上げる仲間への尊敬の念を示すものとして、今でも多くの人々に語り継がれています。こんな彼の立ち振る舞いに私はカッコ良さと優しさを強く感じ、心が激しく揺さぶられるのです。

最後の3人目は、これまた私のプログにたびたび登場する、サントリーの3代目社長であり、現サントリーホールティングス代表取締役会長である佐治信忠氏(以下佐治会長)です。佐治会長は企業経営者としての卓越した手腕と、広い包容力を持った人間的な魅力で満ち溢れている、私が心から尊敬してやまない人物です。佐治会長の魅力は、サントリーを世界的な企業に成長させたリーダーシップ、革新的な経営方針、そして温かみのある人間性に集約されます。佐治会長は、サントリーの事業を多角する傍ら、当時の多額の資産を圧縮するとともに経営の健全化を進めながらも、ビール事業や海外展開に力を入れることで、同社を国内外で成功させました。特に注目されるのは、サントリーのウイスキーブランド「山崎」や「響」を国際的なブランドに育て上げたことです。これらのブランドは現在では、世界のウイスキー市場で高い評価を受け、「ジャパニーズウイスキー」の確固たる地位を確立しました。そしてさらには、2014年、アメリカの世界屈指の蒸留酒会社であるビーム社を買収するなど、佐治会長の経営手腕は、サントリーの成長と国際化に大きく貢献しました。

佐治会長は、常に「挑戦と変革」をキーワードに掲げて経営に取り組みました。彼の経営スタイルは、単に利益を追求するだけでなく、新しい価値を創造することに重点を置いていました。例えば、彼は早い段階から健康志向の飲料や機能性食品の開発に着手し、これがサントリーの成長戦略の一環として功を奏いています。さらに、佐治会長は文化・芸術活動への支援にも積極的でした。サントリーは、「文化を育む企業」として、音楽、演劇、スポーツなどの幅広い分野で支援活動を展開しました。これらの活動は、単なるマーケティングの一環ではなく、社会貢献を通じて企業の存在意義を高めるというサントリーの経営理念に基づいています。佐治会長は、温厚で謙虚な人柄でも知られています。彼は、社員を大切にし、彼らの成長を促すリーダーシップを発揮しました。「人を育てることが企業の成長に繋がる」という信念のもと、社員の教育やキャリア支援に力を入れてきました。また、彼は人間関係を大切にし、相手を尊重する姿勢を常に持っています。ビジネスパートナーや取引先との関係においても、信頼と誠実さを重んじ、長期的な信頼関係を築くことを重視しています。彼のこのような姿勢が、サントリーが多くの良好なビジネス・パートナーシップを成功させる要因の一つとなっています。ここで私が親しくさせて頂いた先輩から聞いた、あるお得意先(大手業務用酒販店)のご子息の結婚式に主賓として招待された時の話をご紹介させて頂きます。

その結婚式の冒頭で、佐治会長(当時社長)は主賓としてのお祝いの言葉を述べたのち、忽然と席から姿を消してしまったのです。周囲の方々は、「突然具合でも悪くなったのでは・・・」と心配が広がる中、会場の一番奥で細かくあちらこちらと動き回る姿が見られました。それは、式の末席に参加していたその得意先の若い連中、つまり倉庫での入出庫や、配送を担当している彼らのところで、全員一人ひとりに、挨拶を兼ねてサントリービールを注いで回っていたのです。主催者である得意先の社長が、慌てて佐治会長の所へ近寄り、「どうか、主賓席にお戻りください。」と懇願しましたが、佐治会長は、「彼らが日ごろからサントリーの製品をしっかりお得意先に届けて頂いているおかげで、我々の商売が成り立っています。あらためて感謝の意を込めて、心から御礼をさせてください」と言って、あっという間に末席にいた全員にビールを注いでしまったということです。配送や入出庫を担当していた若い衆は、主賓がわざわざ自分のところに次に来てくれることに対して、いたく感激し、ますますサントリーのファンが増えていったとその先輩から話を聞きました。

佐治会長はまた、サントリーを世界的な企業へと成長させる上で、グローバルな視点を持って経営に取り組んできました。彼は、日本国内だけでなく、海外市場においても成功を勝ち取るために、各国の文化や価値観を理解し、尊重することの重要性を強調しました。彼のリーダーシップのもと、サントリーはアジアやヨーロッパ、アメリカなどで酒類・飲料ビジネスを大きく展開を図り、サントリーを国際的な企業ブランドとしての地位を確立させました。サントリーの製品開発やブランド戦略には、日本の美意識や文化的要素が反映されており、これが同社の日本発の企業としての独自性を際立たせる要因となっています。

佐治会長の魅力は、卓越した経営手腕や革新的なビジョンだけでなく、温かみのある人間性や文化・社会への貢献にもあります。彼は、サントリーを世界的な企業へと成長させるだけでなく、企業の社会的役割や責任を深く考え、実践してきたリーダーです。彼の経営哲学や人間性は、多くの人々に影響を与え続けています。私も昨年の6月に、久々に佐治会長と麻布のワインバーで数人と一緒させて頂く機会がありましたが、我々が無礼講で好き勝手な話をしている中、皆の話をじっくり聞き、温かく前向きな姿勢で常に我々を励ましてくれていました。

さて、以上私が最も憧れる「3人の偉大なるスーバースター」について私の思いをお話させてもらいましたが、いま、よく考えてみるとこの3人に共通する点があることに気づきました。ひとつめは、人としての「人間的な器の広さ」であり、二つ目は「人を思いやる優しさ」であり、3つ目は「新しいことに堂々と立ち向かう挑戦心」ではないかと考えています。これはそのまま、これからの日本の経営者が目指すべきリーダー像とピッタリ一致していると思っています。リーダーはまず、メンバーが「この人のために頑張ろう」と思わせる人間性を持っていなければなりません。つまり「人を魅了させる器の広さ」が必要です。そして、その器の根底に流れるものは、すべての人に対する分け隔てのない優しさと思いやりです。

「人は人の心でしか動かない」といわれるように、自分自身を大切に思ってくれているという安心感が、メンバーや部下たちの気持ちを大きく動かし、その才能や能力を大きく開花させる原動力になります。そして物事を成し遂げるためには、過去の事実や経験に捕らわれず、新たな局面に向かって多少の困難をもろともせずに、一心不乱になって立ち向かう怯まぬ勇気がなければ、大きな成功を勝ち取ることはできません。私はこの3人を通じて、自分がどう生きるべきかを学ばせて頂いている気がしています。私はこの3人には全く足元にも及びませんが、今後、私が経営コンサルタントとして、企業の成長・発展のサポートをさせて頂く際には、常にこのような「3人の偉大なるスーパースター」の考え方やその果敢な行動力について、お話をさせて頂き、私自身も彼らに少しでも近づくべく努力を重ねていくことが、残された人生のテーマだと思っています。最後までお付き合い抱き、ありがとうございました。

神田 和明

神田 和明

結果の出る強い組織づくりコンサルタント

株式会社チームフォース代表
中小企業の経営者に、コンサルティングとコーチングのハイブリッド型ソリューションで「結果の出る強い組織づくり」のサポートを行い、「活力」と「成果」をお届けしています
中小企業診断士/【BCS認定】プロフエッショナルビジネスコーチ/宅地建物取引士

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