
私は赴任早々、いち早くこの部署になじむべく、メンバー全員と個別面談をスタートさせた。そしてそれから一週間ほど経った頃だったろうか、お昼にビル内の食堂に向かおうとしていた矢先、「神ちゃん、ちよっと話があるんだけど、いいかな?」と私の上司である事業部長にふと呼び止められた。「はい。」と答えて、私は近くにあった事業部長室に向かった。中に入るとその事業部長が大変申し訳なさそうな表情で「実は今回の洋酒事業部の新体制に関して私の思うところがあって、リキュールの担当体制を見直すことにした。それは、リキュールというお酒のカテゴリーの性質上、国産製品と輸入製品はビジネスモデルが全く違うので、やはり今までのように元の体制に戻し、国産リキュールと輸入リキュールを2つの組織を分け、国産リキュール担当部長を神ちゃん、輸入リキュール部長をH部長に担当してもらうことにする。」と私に告げた。
しばらくの間はさしてすることもなく、サントリーの国産リキュールの製品に関する知識を学びつつも、暇を持て余していた私に、新たなミッションが告げられたのはそれから1ヶ月程してからのことだった。ある朝に、事業部長と共に、研究開発担当のM常務に呼ばれ、「これは極秘の話だか、サントリーでは新たに”健康酒のカテゴリー”に参入することになった。それを洋酒事業部・国産リキュール部として担当して欲しい」。そしてこう続けた「実はコンセプトはこちらの方で既に固めていて、既に中味開発は進めている。それを一言で言い表すならば『シニアの応援酒』になる」と。当時のサントリーの健康食品事業は、ごまのエキスを使った「セサミン」が大ヒットし、飛ぶ鳥を落とす勢いだったのに対し、酒類事業に関しては、屋台骨であるウイスキーの長期低落傾向とビール事業も競合3社との消耗戦によって踊り場に立たされ、経営的にも非常に苦しい状況だった。そこで起死回生の一手として、好調な健康食品の素材を活用した新しいジャンルのお酒の開発を進めることは、当時の酒類事業の打ち手としては妥当なものだった。
部下Sの考え方は、「マカ」の効能には、男性の精力増進ということ以外に、ホルモンバランスの改善(特に更年期障害の症状軽減や月経前症候群の緩和)という効能があるので、そこに焦点を絞り、『働く30~40代の主婦の元気とキレイのお酒』というコンセプトに変更するという案だった。まさに女性目線ならではの素晴らしい視点だった。ギラギラした中年男性に、押しつけがましく「これを飲めば勢力絶倫になりますよ」といって、効果効能のはっきりしない怪しげなお酒を勧めても、すんなり受け入れられるのは難しい。であれば、ホルモンバランスのコントロールに悩める女性に、「元気とキレイを実現できるオシャレなお酒」という形で商品化する方が、説得性がある。私は彼女の考えに全く異論がなかった。二人の考えは一致し、すぐさまこのコンセプトに従って商品化を進めることにした。このコンセプトを大きく変えることは、M常務の意向に大きく反することにはなったが、時間をかけた粘り強い説得によって、我々のコンセプはようやく認められた。
次はボトルデザイン。瓶型は500mlのスリムでオシャレな瓶とし、ベースに赤の半透明な色合いの瓶を用い、そこに透明のヒートシールデザインを施す形に決め、社内のデザイン部と広告代理店とのコンペ形式によって、最終的なデザインを決定した。これで、商品化に必要な、コンセプト・ネーミング・パッケージの3つが決まり、出されたダミー瓶がようやく仕上がったが、それは我々にとって最高に満足のいく出来栄えのものだった。最も重要な製品の中味についてのオーダーは、開発当初から並行して大阪の山崎にある研究所にお願いしていたのだか、研究所ではそう簡単に事は進まず、悪戦苦闘の連続だった。それは、マカの素材が根菜類のため、スピリッツ(蒸留酒)に溶かしてもなかなかうまく溶け込まなかったことによるものだった。中味の担当だった研究者Mは連日徹夜で試行錯誤を繰り返し、過労で倒れて救急車に運ばれながらも、遂にサワーマッシュ法という粉を遠心分離機で分解することによって、スピリッツにうまく溶け込ませることに成功したのだった。
この商品の調査に関しては私の強い思いから、結果的には数百万をかけてしまったが、過去からの洋酒事業部の慣行としては、これだけ市場調査にお金をかけることは異例のことだった。どちらかというと、商品は発売してみなければわからないため、実際に発売することで、顧客の反応を仰ぐという考え方が強く、ある先輩曰く、「新たな商品の市場導入は偉大なるテストマーケティングだ」と豪語していたことが思い出される。私はこの考えには真っ向から反対だった。それまで営業の経験が長かった私としては、「そんなテストマーケティングに付き合わされるのは、たまったもんじゃない !」という強い思いがあったからだ。
カンパニー長は私と事業部長に「社長に説明しに行かなければないが、どう対応するんだ。」と相談をしてきた。それを受けて私は、カンパニー長と事業部長の二人を同時に見つめながら、「ここで価格を変えてしまうと、今までの苦労が全て水の泡になります。ここはひとつ私に対応の全権を与えてください。カンパニー長が話をするとかえってややこしいことになります」と言い放ち、すぐさま私は事業部長と社長室に向かった。社長室に入ると、いつも通り威厳のある堂々とした姿の社長が机の上にドンと構えていた。社長は我々が部屋に入るなり開口一番、「今回の新しいカテゴリーのマカディアを見たが、かなりいい出来しとる。これは必ず売れる!」。私は一瞬嬉しく思って深く頭を下げた瞬間、「だが、あまりにも値段が安すぎる、これからのビジネスは高付加価値・高価格しか生き残る道はない !最低でも、5,000円にすべし! 」と相変わらず威圧感のある通る太い声が部屋中に響いた。私は一瞬ひるんだが先ほど述べたように、ここで妥協して価格を上げてしまっては、今までの努力が全くの無駄になってしまう。
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