「やってみなはれの極意【その⑪】」~ 打ち砕かれた「根拠のない自信」~  

*このメールマガジンは、私・神田と直接名刺交換させて頂いた方々に送信させて頂いております。(今後、送信不要の方につきましては、最後にある送信停止の手続きを行って頂くよう、宜しくお願いいたします。)

「やってみなはれの極意【その⑪】」~ 打ち砕かれた「根拠のない自信」~  

みなさん、こんにちは。(株)チームフォース代表の神田和明です。今回は再び、私の記憶の時計の針を41年前の入社時の頃に戻し、昭和58年・サントリー同期入社の仲間たちとのやり取りを交えながら、私の「根拠のない自信」が一瞬にして吹き飛んでしまったエピソードを中心に、面白おかしくお話させて頂ければと思っています。ぜひ最後までお付き合いを宜しくお願いします。

私がサントリーに入社した経緯については、“「やってみなはれの極意【その①】」~私のサントリー就活奮闘記~”にて詳しくお話しをさせて頂いていますが、その前年の6月にサントリー入社の内定をもらった私は、悪戦苦闘しながらも卒業に必要な48単位をやっとのことで取得し、晴れて翌年3月の中旬に行われた「新入社員研修」に臨みました。当時は入社する直前の3月中旬から末にかけて、合宿による2週間程度の新入社員研修が行われており、その研修を通じて各人の色々な素養や仕事の適性が判断・検証され、晴れて4.1からの配属部署が決まるという流れになっていました。当時の研修は、大阪・箕面市の丘のふもとにあった「サントリー箕面トレーニングセンター」という我が社専用の研修所で行われました。

当時の私は、生まれてから大学を卒業する21年間の間ずっと地元の小樽で生活していたこともあり、新たな社会人としてのスタートを、サントリーの本社のある大阪で過ごせることに胸をワクワクさせ、新千歳空港から伊丹空港へ向かったことを今でも鮮明に覚えています。伊丹空港に着いてから北大阪急行電鉄に乗って、千里中央駅で降りて、そこからタクシーで小高い山の麓にある研修所へ向かいました。この新入社員研修への参加は、当時の私にとっては、関西方面への初めての観光旅行のような気分でした。

研修所に着き、正面の玄関に入ると受付もなく、その入口の投票箱のようなものが置いてあり、「ここに卒業証書を入れてください」と書いた紙が貼ってありました。私は苦労に苦労を重ねてようやく手に入れた大切な卒業証書を、こんな粗末な箱に安易に入れるのは気が引けました。できれば勿体ぶって直接研修の担当者に渡したい衝動にかられましたが、当時は入社に当たって、卒業証書を持参するのは当たり前のことであり、いちいち直接受け取る手間を省くための手段としては、会社としては当然のことだったに違いありません。

そこからしばらく先を歩いていくと、途中に事務所があったので、その中にいた受付係の方に「小樽商科大学卒の神田です」と話すと、てきぱきとした対応で、自分の宿泊する部屋番号を教えてくれました。「研修のスタートは13:00からになりますので、それまでその部屋でゆっくりしていてください。研修開始の10分前に、開始案内の館内放送が流れますので、その指示に従って研修大ホールに集合下さい」と。階段を上がって3階にある私の部屋についてみると、そこは5人程度が寝泊まりできる10畳程度の相部屋があった。「まあ、ここで同期入社の仲間とと2週間程度一緒に生活するのも、一生の思い出になるし、悪くはないかな」とふと思いながら、部屋で他のメンバーを待つことにした。その部屋に全員が揃ったのは、私が部屋に入ってから15分も経たない間だった。

自然にそれぞれの自己紹介が始まり、私は同部屋の仲間に後れを取ってはならぬとばかり、先頭を切って「北の国・北海道代表の、小樽商科大学出身の神田といいます。右も左もわからない田舎者ですが、宜しくお願いします」と丁寧に頭を下げた。続いて体格のガッシリしたロボットみたいな大男が「奥野といいます。東海大学でバレーをやっていました。皆さんと楽しくやりたいと思います」とぽつりと話した。続いて「早稲田大学でラグビーをやっていた吉野といいます。趣味は筋トレです。皆さん、宜しくお願いします」と三人目。なぜか、スポーツマンばかりじゃないか?とちよっと不安になってきたところで、四人目の自己紹介。「近畿大学で野球をやっていました綾野です。実家が酒屋をやっています。特技は仮面ライダーの主題歌を歌うことです」と。またまたスポーツかと思い、最後の一人の自己紹介に淡い期待を抱きながら、彼の方をじっと見つめ話を聞こうとした矢先、「最後になりますが、成蹊大学でヨットマンをやっていた田邉です。なぜサントリーは入れたのかは不明ですが、よろしくお願いします」と支離滅裂な口調で挨拶を終えた。

何ということだ。私以外は、ほぼスポーツ関係者で占められていたのだ。唖然としながらその後、他の4人の会話を何気なく聞いていたが、その内容は自然と彼らかが学生時代にやっていたスポーツの話題に華が咲いた。私は一人取り残された雰囲気を感じつつも、話を聞いているうちに、彼らはどうも単なる普通のスポーツマンではないことがだんだんわかってきた。バレーボールをやっていたといっていた奥野浩昭は、どうやら「逆足のエースアタッカー」として有名な全日本代表選手で、入社の翌年の1984年にはロスアンゼルスオリンピックにも出場するほどの有名選手だった(私は全く知らなかった)。彼はサントリーのバレーボールチームである「サントリーサンバーズ」の中心選手としてスカウトされ入社したのだ。そんな驚きと気づきの中、野球をやっていたという綾野富夫については、ドラフトがどうのこうのと言っていたので、私がその事について詳しく尋ねると、その昨年の秋に近鉄からドラフトで6位に指名されたが、既に実家の酒屋を継ぐための修行先としてサントリーを選んでいたため、プロ野球の道を断念したということだった。彼は岡山東商業高校時代は、甲子園・春の選抜大会で四番・キヤッチャーとして活躍し、惜しくも準決勝で惜敗した華々しい球歴を持っていた。彼は気さくで飾らない面白い男で、夕食を終えた後の飲み会では、テープルの上に立って、赤いマフラーをなびかせながら、「迫るシヨッカー、地獄の軍団~ ♬(ちよっと古いが…)」と大きく身振り手振りをつけなから真剣に歌い、周りのみんなを笑わせていたのが今でも目に焼き付いてる。

やはりこの部屋に集まった輩はただものではない・・・・と私の心に緊張感が走った矢先、「タックルされると体の小さい私にはかなり応えるのよな~」と弱音を吐いていた筋肉質のラガーマンの吉野俊郎は、早稲田大学にウイング&センターとして活躍した、早稲田のOBやラグビー関係者では知らない人がいないスタープレーヤーだった(このことも私は全く知らなかった)。彼は早稲田で同期の本城和彦と共に、サントリーラグビー部にスカウトされて入社を決めた。入社後彼は、振興の弱小チームに過ぎなかったサントリーのラグビーチームを、全国社会人大会で優勝を争えるまでにチーム力を引き上げ、62歳時の2022年度シーズンの対IBM戦、対船岡自衛隊戦に出場し、トップイーストの最年長出場記録を更新した。まさに彼はラグビー界の鉄人であり、サッカーのカズ、ジャンプの葛西をしのぐほどのラグビー界のレジェンドとして現在も現役で活躍している。最後に付け加えておくが、残りの一人、ヨットマンの田邉も全日本学生ヨット選手権で優勝し、世界大会に何度か出場したつわものだった。

彼らのスポーツ談義が一段落ついたとき、突然、バレーをやっていた奥野から、「神田は学生時代、何かスポーツやっていなかったのか?」と尋ねられた。一瞬、私は戸惑いを見せながらも、「ちよっと趣味で温泉卓球をやっていたかな」と言葉を濁すように答えた。いちおう、私が所属していた小樽商科大学卓球部は、北海道卓球連盟に属し、大学リーグでは2部の上位にいて、一部昇格を狙える位置にいた。1年生の時には東日本卓球全国大会に出場したこともあったが、残念ながら彼らのレベルに比べると、とてもとても大学で本格的にスポーツをやっていたとは言えず、とっさに自分をさげすんで、レジャー的な「温泉卓球」という表現で言葉を濁さざるを得なかった。このようにいきなり自分とのレベルの違いをまざまざと見せつけられ、私は完全に同部屋のみんなからは孤立しかけていた。そして翌朝、そのことに輪をかけるように信じられない光景に出くわすことになる。

翌朝には早朝の8時から、研修所から少し離れた近くの専用体育館で、朝の自由(だが強制)スポーツの時間があった。部屋のメンバーと一緒にその合宿所から体育館へ向かう途中、なんだかわからないが、多くの女子高校生らしき集団が我々の周りに一気に集まってきた。なんだろうと思って彼女たちの様子を見た私はびっくりした。何と一緒にいた同室のバレー選手の奥野の周りに、押すな押すなでサインをねだる女子高生が集まっていたのだ。それは私が以前学生時代に、松山千春のコンサートの会場整備のアルバイトで見て以来の女子高生の異様な光景だった。私も調子に乗って、近くにいた女子校生に「私で良ければサインしましょうか?」と声をかけたが、「あんた誰?」という表情でスルーされてしまった。あの奥野が昨日からこの研修所に宿泊していることを聞きつけ、彼の「追っかけ」のフアンたちが、いまかいまかと早朝から彼をじっと待ち続けていたのだ。

そしてふと気づくと、少し先にもう一つの人だかりの集団があった。その中心には、前述した早稲大学のラグビー部のプリンスと言われた本城和彦がいた。そして奥野とその人数を競うように、たくさんの女子高校生からサインをねだられていた。彼は早稲田時代、その華麗なプレースタイルに加えて、甘いマスク・華奢な容姿(決してひ弱ではないのだが)も相まって、特に女性からの支持を高く集めていた。早稲田のラグビー部のメイン練習場である東伏見グラウンドには「東伏見族」と呼ばれる早大ファン(主に男性)を押しのけるように多数の女性たちが集まって彼の練習を息を潜めて見守り、秩父宮や国立競技場には満杯のファンが詰めかけた。専門誌はもとよりスポーツや一般誌の表紙を彼が飾るなど、きさにラグビー界のアイドルだったのだ。その過熱ぶりは後の神戸製鋼・平尾誠二やかつての新日鉄釜石・松尾雄治などの人気も及ばなかった。

その他の同期入社の仲間の中には、スポーツをやっていない同期メンバーも数多くいたが、のちに配布された「新入社員一覧」に記載されていた内容を見ると、なんと同期のメンバーのほとんどが、東大、京大、阪大、一橋、早稲田、慶応、上智などの難関有名大学の出身者ばかりで、自分のように地方のマイナーな大学の出身者は、ほんの一握り程度しかいなかった。彼らはその高学歴な立場に加えて、それぞれ特筆したキャラクターを有していた。ここで実名を出すのは差し控えるが、宮本武蔵の直系の末裔、渋沢栄一の玄孫、藤本義一の娘、当時一世を風靡していたタレント・齋藤慶子と交際していた者など、そうそうたるハイレベルな人材の集まりばかりだった。このようにともかく元気でパワーもあり、かつ毛並みが良く字頭の良い連中と一緒にサントリー人生をスタートすることができたのは後々の私にとっての会社人生の大きな財産になったのではないかと考えている。

すでに「やってみなはれの極意【その①】」の中でも述べたように、当時のサントリーは「大学生が就職したい人気企業ランキング」で4位に食い込み、入社してきた同期のほとんどは、当時かなり人気の高かった一流商社や金融・保険会社の誘いを断ってサントリーを選んで入社していた者がほとんどだった。研修の開始時には、マーケティング担当の青山課長からも、「君たちは、何十万人と言われる日本の昭和58年度新卒の人材の中でも、その頂点のほんの0.1%以内の選りすぐりの人材だ」と褒めたたえられるほどだった(本当にそうかどうかは、いまだにわからないが)。

通常であれば、このような環境の中に私のような田舎者がいきなり放り込まれたら、相当に萎縮するばかりか、強烈な劣等感に苛まれるのが常だが、不思議と自分の場合は全くそのような感情を抱くことはなかった。しょせん、同じ世代に生まれた同じ人間だ。出身大学や家柄、特技の有無にかかわらず、仕事のスタートとしては皆、横一線からのスタートとなる。ひるんだり焦ったりする必要は全くない。これからはただひたすら自分を信じて、サントリーという大きな土俵で自身の持てる可能性を存分に発揮することができれば、決して彼らに引けを取ることはないと私は確信していた。

いま振り返ってみると、そのような考えを支えていた「自分の信念」とは何だったのだろうかと考えてみると、それは全くの「根拠のない自信」だった。特に際立った実力や能力、実績がなくても、私は常に心の底から湧き上がってくる「訳のわからない自負心」で満ちあふれていた。それは悪く言えば、単なる「から元気」であったのかも知れないが、当時の私自身を支えていたものは、間違いなくこの何の「根拠のない自信」だけだったと考えている。しかしながら、そんな自身に満ちた私も、この研修の内容が深まっていくうちに、化けの皮が剥がれ、同期の仲間から屈辱的な洗礼を浴びることになる。それは、ある研修のワークによって、揺るぎのなかった私の「根拠のない自信」はみごとに砕け散ってしまったのだ。

それは研修も中盤に差し掛かった、中日8日目のことだった。それは各グループごとに分かれた、メンバー同士によって行われる「金魚鉢(フイッシュ・ポール)」というセッションだった。それは各グループ単位で、「あるテーマについてディスカッションを行い、グループとしての結論をまとめるものなのだが、そのグループ以外の研修参加者が、そのディスカッションの内容を「金魚鉢」の中を覗くが如くディスカッションをしているメンバーの様子を深く観察し、のちにその内容について、各メンバーにフィードバック(批評)を行うというセッションだった。私は当初から、そのような場では、思うまま自由闊達に言いたいことを言いたいだけ言って、周りの空気を読んで発言するという考えも一切なかった。そのように周りを気にしない傍若無人な振る舞いが私の良さであり、個性であると信じて疑わなかった。

そしてこの「金魚鉢」のセッションにおける我がチームのディスカッションは活発に進み、明確な結論が出せないまま、制限時間が来ることとなり、我がグループ内の「金魚鉢」をじっくりと観察していた全メンバーからの我々メンバーへのフィードバックが始まった。いよいよ私のフィードバックの番となった時、堰を切ったように次から次へと私に厳しい指摘が嵐のように吹き荒れたのだ。「神田は自分の主張ばかりして、人の意見を全く聞いていない」、「残念ながら話の内容が、全く筋道が通っていない」、「もっと謙虚に他のメンバーの話を傾聴すべきだ」、「人に対する配慮・気配りが足りない」、「基本的に自分勝手な振る舞いで、ディスカッション全体の進行の阻害になっている」・・・・・・。

そこには一切、私に対する少しの配慮や気遣いは見られなかった。ボクシングでいえば、カウンターパンチを何度も撃ち込まれるも、倒れることも許されず、次から次へとダメージを受け続けたのだ。あまりの凄さに、人事部の担当者が気を使って、私へのフィードバックの途中で、次のフィードバックのメンバーへと素早く移行せざるを得ないほどの状況だった。生まれてかつて味わったことのない程の、社会人としての激しい洗礼(批判)を浴びた私は、それからというもの、研修所ですっかりふさぎ込んでしまったばかりか、そのシヨックから急に歯が痛み出し、研修中にもかかわらず研修所から少し離れた「歯医者」へしばらく通院する羽目となってしまった。そうです、痛手は私にとって相当に深く、計り知れないものだったのだ。いま考えると、その時の自分はやはり「考えの思いつくまま好き放題に発言していた」のではないかと考えている。都会の有名大学で数多くの色々な学生の中で揉まれて育ってきた同期の仲間達とは、人間としての質が大きく違っていたのだ。彼らから見れば、同期の中で何の優位性も無いままに、サントリーに入社してきた私はとても奇異に映ったに違いない。そして前述した私の根底を支える「根拠のない自信」にしても、何のバックボーンもない、単なる虚勢とハッタリだけの人間など全く認めることはできなかったのだ。いま思えばこの「金魚鉢」のセッションは私にとっては、学生から社会人に移行する上での人間性を試すフィルターであり、自分自身というものを客観的に見つめ直す機会を与えてくれた貴重な経験だったのではないかと考えている。

あれから約40年以上の歳月が過ぎ、当時若き新入社員だった我々もいよいよ定年を迎えようとしている。おかげさまで私も、現在に至るまで、楽しく自由に仕事を続け、かつてから私の強みであった「根拠のない自信」もいまだ健在だ。自分の「固有価値」を見失うことなく、なんとかここまでやってこられたのは、あの時のような同期の仲間からの厳しい叱咤激励をはじめとする、諸先輩や同僚の仲間たちに支えられてきたことによるものだと心から深く感謝している。個々人が持っている個性や固有価値を尊重しつつも、だれから見ても欠点やマイナスとなる部分については、遠慮なく指摘し合えるざっくばらんな雰囲気。そんな空気感がお互いが人と人とのフランクな切磋琢磨を生み出し、共に色々なことを学んだのではないかと考えている。

サントリーの佐治会長がしきりに口にする言葉に「GROWING  FOR GOOD  COMPANY(よい会社であるために成長しよう)」という言葉がある。サントリーがめざす「GOOD COMPANY」を実現するには、事業を支える社員一人ひとりが「GOOD PERSON」であることが求められる。「GOOD PERSON」とは、企業人としてお客様や社会に価値を提供するということを超えて、一人の生活者・市民として家庭や社会に価値を提供できる人材を意味している。そのためには、自分しか持ちえない強みである「固有価値」に徹底的に磨きをかけると共に、それを活かすために必要な要素となる、「人間としての基本的な立ち振る舞い」を継続的に実践していくことが重要だと説いている。

生涯生活の視点で見れば、入社してから定年退職、さらにリタイア後の生活まで、それぞれのステージですべての社員自身が持つ「固有価値」を発揮し、いきいきと働き、確かな生きがいをもって自らの目標や夢を実現できる。そうした快適で刺激的な職場環境がこそが、サントリーの組織風土と言える。今後もサントリーグループに集うサントリアン一人ひとりが、「水」のように自在に力強く、仕事でもプライベートでも自らの可能性を広げ、人生を謳歌できるように、社員へのさりげないサポートをし続けて欲しい。

*追記:本文中に取り上げさせて頂いた、サントリー(株)昭和58年同期入社であり、元バレーボール日本代表の奥野浩昭さんは、2018年12月11日に、58歳の生涯を終えられました。彼の生前の功績に敬意を表すると共に、心よりご冥福をお祈りいたします。

 

神田 和明

神田 和明

結果の出る強い組織づくりコンサルタント

株式会社チームフォース代表
中小企業の経営者に、コンサルティングとコーチングのハイブリッド型ソリューションで「結果の出る強い組織づくり」のサポートを行い、「活力」と「成果」をお届けしています
中小企業診断士/【BCS認定】プロフエッショナルビジネスコーチ/宅地建物取引士

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