「やってみなはれの極意【その⑤】」~結集された5つの「ツキ」~

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「やってみなはれの極意⑤」~結集された5つの「ツキ」~         

みなさん、こんにちわ。(株)チームフォース代表の神田です。

いよいよ待望の本格的な春が到来し、桜の花も満開となりました。ところでみなさん、4月1日は「ジャパニーズウイスキーの日」であったことをご存じでしたでしょうか?今から95年前の1929年4月1日に日本初の本格国産ウイスキー「サントリーウヰスキー(通称“白札”)」が発売されたことがその由来となっているのです。

そして同じく先週の2024年4月1日、サントリーからウイスキーの値上げが発表されました。その背景としては、これまで蒸溜釜や貯蔵庫増設をはじめとする生産設備を強化、そして山崎・白州両蒸溜所において魅力的なものづくり施設への刷新など、さまざまな投資を行ってきたことにあります。そしてさらなるブランド価値向上を目的とした、中味品質の向上、生産設備の強化や環境に配慮したものづくりなどを行うための原資を確保するため、今回価格改定の実施に至りました。これからも「美味品質の追求」「お客様体験の進化」に挑戦し、世界最高水準のウイスキーづくりを目指していきます。とサントリーの広報部から発表されています。

このように今では希少価値の高くなった日本のウイスキーですが、ここに至るまでのサントリーの需要拡大に向けた並々ならぬ苦労の積み重ねを忘れてはならないと考えています。ウイスキーが約30年もの間、長期低落傾向にあったということを知る人もだんだん少なくなってきたような気がしていますが、かくいう私もかつてはそのような厳しい状況の中で社の仲間たちと一緒に苦労してきた一人なだけに、ウイスキーの復活とその反動による需給逼迫の状況はやや残念な思いがしてなりません。

ちょっと時を私がサントリーに入社した41年前の1983年に戻すと、サントリーウイスキーの代表ブランドであった「サントリーオールド」の販売数が1,300万ケース(約1億5千万本)を突破し、まさにウイスキーが絶頂期を迎えていました。当時、セールスとして酒類卸を担当していた私がその裏の倉庫に入ってみると、100坪以上もある広い倉庫に所狭しとその「サントリーオールド」がびっしりと唸るような勢いで積み上げられていたのを記憶しています。残念なことに、その頃を境にウイスキーの需要が大きく減少し続け、あげくの果てに30年後の2013年には、なんと総販売数量が最盛期の1/5にまで落ち込んでしまったのです。それはまさに「失われたウイスキー苦難の30年」といえるでしょう。なぜこのようにウイスキーというお酒が30年という長い年月にわたって落ち込み続けたのか ? それは焼酎(当時ニューリカーと呼ばれた)の台頭によって、ウイスキーがお酒としての主役の座を焼酎に奪われてしまったことにあります。事実、その30年間のウイスキーと焼酎の合計消費量はほどんど変わっておらず、ウイスキーの消費者がどんどん焼酎の消費者に切り替わり続けたことによるものです。その焼酎自体も、「酎ハイ」⇒「甲類焼酎」⇒「韓国焼酎」⇒「乙類焼酎」とその姿(タイプ)を変えながら、ウイスキーの需要をどんどん奪っていったのです。おそらく50代以上の方であればある程度はご理解いただけると思います。

その「甲類焼酎」から「韓国焼酎」への移行期に、日本に韓国焼酎・眞露のブームが巻き起こりました。まさにそのタイミング(1994年)で私はサントリー首都圏営業企画部・洋酒担当へ異動となり、この眞露対策を考え実行するミッションを受けたのでした。眞露は元々サントリーウイスキーの最大の売場であったバーやスナックなどの「ボトルキープ業態の飲食店」でどんどんその販売数を増やし続け、あっという間にウイスキーからメインボトルとしての主役の場を奪いつつありました。飲食店でこの眞露が急速に広まった理由としては、日本に韓流ブームが巻き起こる中、味わいがあっさりしていて飲みやすいうえに価格も安く、飲食店でのボトルキープ料金が2,500円(700ml・25°)前後と手ごろな価格で提供されるようになったことにあります。主役の座を奪われたウイスキーは、オールドやリザーブのメインクラスで7,500円(当時は760ml・43°)前後と約3倍の料金となっていました。

しかし当時のサントリー社内では、この急増する眞露にどう対抗するかという手段について大きく2つの意見に分かれていました。ひとつは「目には目を、歯には歯を」という考え方で、韓国焼酎には韓国焼酎で対抗するという考えと、あくまでウイスキーメーカーとしてその需要減少を最小限に食い止めるべく、韓国焼酎に対抗できる低価格ウイスキーやブランデーを投入し、再び韓国焼酎からウイスキー類へのシフトを図り市場を奪還するという考え方でした。当時サントリーは韓国焼酎の取扱いがなかったこともあり、ウイスキー類で対抗すべきという意見が多数でしたが、価格優位性という観点から考えればその施策もかなり難易度が高かったことも否めませんでした。ここで、サントリーは歴史上初めて「イノベーションのジレンマ」に陥ることになるのです。

大企業にとって、新規軸の商品(眞露)は市場が小さいがために魅力がなく、カニバリズムによって自社が優位性を待つ既存の商品(ウイスキー)が減少してしまうがゆえ、その市場への算入をためらってしまいます。その結果、新たな新機軸の商品(眞露)を売り出し始めた新興企業に大きく既存商品の市場(ウイスキー)を占拠されてしまうといったことがよく見られましたた。それがいわゆる「イノベーションのジレンマ」です。

コダックの事例は、しばしばイノベーションのジレンマの典型的な事例としてしばしば引用されます。コダックはかつて写真フィルムカメラなどで世界的なトップシェアを誇る超優良企業でした。しかし、デジタルカメラの登場によりフィルムの市場が急速に縮小したことで大きく売上を落とし最終的には倒産してしまいました。実はデジタルカメラはもともとコダックが世界で初めて発明したものであり、当初はコダックが先駆的な存在でした。しかし、コダックはフィルムカメラの市場で圧倒的なシェアを持っていいため、デジタルカメラの普及に消極的となり、その結果、デジタルカメラを擁する新興企業にトップの座を奪われてしまったのです。同じようにこのサントリーの韓国焼酎への対抗策という観点で捉えるならば、新たに台頭してきた韓国焼酎・眞露に対して、同じく韓国焼酎を徹底的に対抗することが定石のように思えますが、一方、サントリー自身が自ら韓国焼酎のマーケットを拡大させれはさせるほど、過去から築いてきたウイスキーの大きな市場が削り取られるというジレンマに陥ってしまう。さて、その時にサントリーが選択した戦略はどちらだったと思いますか? 結論から言えば、韓国焼酎・眞露に対して韓国焼酎で対抗することを決断しました。前置きが長くなりましたが、このような背景の中、私が「眞露対抗プロジェクト」のリーダーとして首都圏を指揮することを命じられたのでした。

眞露対抗プロジェクトのリーダーを任された私のミッションは、その時すでに日本での導入を準備していた、韓国の斗山グループが製造(当時)する韓国焼酎「鏡月グリーン(以下鏡月)」という新製品をすみやかに導入・浸透させることでした。そこで私は担当してから約1か月の間に、眞露の販売数量、浸透エリア、支持される理由、飲食店への納入価格、マーケティング戦略等の情報を徹底的に調べ上げると同時に、ない知恵を絞りに絞って私としての鏡月の拡大戦略を以下のようにまとめました。

1.サントリーの圧倒的な営業力で局地戦に持ち込み、営業の力で一気に眞露をねじ伏せる。

2.鏡月が飲食店にも業務用酒販店にとっても圧倒的な利益商材(眞露に比べて)であることを前面に打ち出し協力を仰ぐ。

3.短期間の損益は度外視し、とにかく眞露のマーケットを一気呵成に鏡月で奪取することだけを考える。

とはいえ、お酒のように個人の嗜好性が強いカテゴリーは、眞露のようにブランド力を持ち、既に大きなマーケットを独占している商品に対抗することはそう容易なことではありません。しかし今振り返ってみると、結果的に眞露から鏡月へ需要を大きくシフトさせることができたのは、サントリーの営業軍団の底知れぬ力のなせる業であったと考えています。

普段セールスが訪問しているバーやスナックで、お店のボトル棚があれよあれよという間にウイスキーから眞露に切り替わっていくさまを目の当たりにしたサントリーの営業は、熟知たる思いであったに違いなかった。その眞露も別にその営業マンが売り込みにきているのではなく自然にお店に広がっていて、サントリーの営業はなすすべもない状況だったと考えられます。その熟知たる思いがくすぶり続けている営業軍団に、強力な武器と、有り余る豊富な戦費を惜しげもなく与えたことが、負けず嫌いのサントリー営業軍団に火をつけたのではないかと考えています。鏡月の拡売のスタートにあたっては、都内の大型居酒屋を貸し切ってそこに首都圏の全業務用セールスを集結させ、商品説明、販売戦略、宣伝広報戦略など、鏡月拡売のための周到で詳細な作戦会議を行い、のちの懇親会では各部署の代表から「打倒眞露」に関する決意を表明し合うことで、彼らの闘争心大きく燃え上がらせました。さらには「馬ニンジンのサプライズ」として、与えられた鏡月の販売予算を達成したセールスは全員、鏡月の製造工場がある韓国「江陵(カンヌン)」へソウル経由で2泊3日の研修旅行へ参加させるとその場で宣言したりもしました。

いよいよ眞露との戦いの火ぶたが切って落とされたが、結果は信じられない展開をみせた。私が担当する以前の鏡月の年間販売計画は5万ケース程度だったと記憶しているが、方や眞露は年間推定300万ケース以上も売れていたこともあり、私が「そんな少ない計画では、沙漠に水をまくようなものでやる意味がない」とプロジェクトの責任者である部長の前で啖呵(たんか)を切って、その10倍の50万ケースという壮大な修正計画を強引に押し通していたからだ。年間50万ケースといっても、初動の3ヶ月でその6割の30万ケースを一気に販売しなければ、勢いで年間50万ケースに到達するのは難しいと考えていたが、なんと初動の1ヶ月で一気に年間販売計画の50万ケースを突破してしまったのだ。(*これらの具体的数字については約30年前の私の記憶の限りなので、正確な数字である確証はありませんので予めご了承下さい。)

予想外の膨大な初動時の販売ボリュームに、韓国の工場での製造が追いつくはずもなく、サントリーのセールスばかりではなく、鏡月を売ろうという気になって頂いた業務用酒販店と、飲食店からは逆にクレームの嵐となってしまった。メーカーとして一番悲惨なのは「売りたくても商品が供給できないことだ」とその時、痛感した。私に寄せられるクレームに対応しながら韓国の製造工場へ頭を下げて、フル稼働での増産を依頼しながら、発売からの3カ月間は需給対応とクレーム処理で疲弊に疲弊する毎日の連続だった。

そのような状況の中、すべてのセールスが鏡月の年間販売計画を大きく上回ったため、韓国研修の参加者は300名以上になってしまった。販売数の大幅増もあって販売費用も当初計画の4倍以上に膨れ上がり、なんと年間で数億円もオーバーしてしまったのだ。それは全く私の力の及ばない見えない力としか言いようがなかった。そしてある時私は当時の担当常務に呼び出され、「鏡月が市場に大きく浸透したのはいいが、そのおかげで全社の事業損益は減益になってしまったのを君は知っているのか?」とニヤリと笑って皮肉を言われた。相当怒られると覚悟していた私は、正直言ってほっとしたが、一体自分のやったことは、成功なのか失敗なのか訳のわからない状態に陥っていた。そしてその数年後、日本の市場において鏡月は眞露の販売数量を抜きさり、日本において韓国焼酎のトップブランドとなるのである。あのときのセールスの燃えたぎる気概が、眞露の「黄色」一色だったマーケットを鏡月の「緑」に大きく変えたのだ。まさしくサントリーの営業部隊としての意地を垣間見た出来事だった。いま改めてこの経験を冷静に振り返ってみると、実はこの成功には営業だけではなく、サントリーとしての「やってみなはれ」の総合力が結集されていたことを知ることになる。

まずは鏡月の中味設計を考えた「商品開発研究所」。心地よい柔らかな甘みを巧みに実現したことで、わざわざお茶やレモンで割らなくても、ロックや水割りでも飲みやすくくうまみも感じられる消費者からの声が多かった。そして洋酒をイメージさせるパッケージデザイン。「韓国の焼酎」というイメージがぬぐえなかった眞露は丸瓶にベタな感じのラベルデザインであったが、それに対し鏡月はウイスキーと同じような四角の瓶形に、深緑のシックなトーンのラベルをあしらった斬新なデザインに仕上げられていたため、飲食店のボトル棚に並ぶと高級感があり壮観な雰囲気を演出していた。まさにサントリーの「デザイン部」の匠のなせる業であったと思います。

そして日本では誰もが知らなかった鏡月が一気に消費者の心をつかむことができたのも、巧妙な宣伝戦略だった。鏡月のブランドイメージをしっかりと消費者に訴求するため、鏡月にまつわる言い伝えを以下のように表現していた。

「鏡月、それは恋人の瞳に鏡る5つの月」。「鏡月」というその名前は韓国の海岸線に隣接した湖 、「鏡浦湖」(キョンポホ)のほとりにある古い楼閣「鏡浦台」(キョンポデ)で、恋人と酒を酌み交わしながら、そこから見える5つの月を愛でた詩に由来しています。「ここからは五つの月が見える 空、海、湖、酒の杯そしてもうひとつは君の瞳」と言ったそうです。なかなかロマッンティクで粋なコピーだとは思いませんか?この鏡月にまつわる言い伝えである「5つの月」は、不退転の決意で「眞露対抗プロジエクト」を率いた私にとってはまさに「私が得た5つの月(ツキ)」だったような気がしています。あらためて消費者に喜んでもらえるように中味品質を一生懸命に設計してくれた「商品開発研究所」、売れ場にマッチした見事な商品のバッケージデザインを創出した「デザイン部」、そして鏡月のブランドストーリーを巧みに押し出した「宣伝部門」、打倒鏡月に燃え、持てる力を400%発揮した「営業軍団」、そして最後に、挑戦を認めながらも、やりすぎた失敗に片目をつぶってくれた「サントリーの寛容な経営陣」。これらの5つの月(ツキ)が結集され、以降鏡月を柱を中心とするサントリーの焼酎ビジネスはどんどん拡大していくことになるのです。

もし、あのイノベーションのジレンマに陥った時、「鏡月で真露に対抗する」という明確な方針を打ち出さなければ、そのまま真露に既存のウイスキー市場を独り占めされていたことは容易に推定できる。「やってみなはれ」はただ思い切って決断することではない。考えに考えた上でリスクを取ってでもやると決めた以上、徹底的に「狂になって」成功するまでやりきることだ。そんな覚悟が必要になる。しかし常に結果がうまくいくとは限らない。そんなとき、失敗を責めるのではなく逆に「よくやった、ごくろうさんさあ、次に向けてまたチャレンジしよう!」とねぎらいの言葉をかけてもらえる、サントリーはそんな厳しくも優しい自慢の会社なのです。

 

神田 和明

神田 和明

結果の出る強い組織づくりコンサルタント

株式会社チームフォース代表
中小企業の経営者に、コンサルティングとコーチングのハイブリッド型ソリューションで「結果の出る強い組織づくり」のサポートを行い、「活力」と「成果」をお届けしています
中小企業診断士/【BCS認定】プロフエッショナルビジネスコーチ/宅地建物取引士

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